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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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献血をしに。

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このろくでもない人生を何とかするために、一山当ててやろう。一丁大きな賭けに出てやろう。そう思って、グリーンジャンボ宝くじを買いに行った。月曜のある晴れた昼下がりである。昨日までとはうって変わって、爽やかな風が心地よい。これでおれはほうぼうを土下座しながら溜まった数千万の借金を返し(向かいの角の豆腐屋め、見てろよ)、スタートダッシュで後続を苛立たせないための普通車を買い、1年分のでん六チョコを買い、余ったお金を切り崩しながら細々と生きるのだ。生きてやるのだ。そんなことを夢想しながらも、目の前にはのっぺりとした週明けの閑散としたスーパー。おれは何故、ここにいるのだろう。という疑念が人生から離れないまま幾星霜、どうせ当たらないんだろうな。買うだけ無駄なんだろうな。でももしかしたら当たるかもしれない。買わないことには絶対に当たらないのだし。むしろ当たったって不思議なことはないじゃないか。そうだそうだ。当たったって何も悪いことは無い。という祈りにも近い淡い望み(嗚呼八百万の神よ)を抱きながら、私は宝くじを求めこれに相当する分の金銭を係員と交換トレードすなわち買ったのである。
 
そして帰りにスーパーの広場で献血車を発見し、一丁献血をしよう。と思った。というのも正直に話すけれども、私にごく社会的に標準的なヴォランティーアの精神がそのとき宿っていたのではなく、いや勿論その気持ちもあったけれども、私は自分の血液型がわからない。という負い目というかオプションというか、それがあって、もう27にもなるのだし、一丁ここらで己の血液型を知ってやろう。という自分自身のフロンティア精神というか、何かに止めを刺すような潮時のような心持ちが主体を占めていたといえよう。ちなみに献血をするのははじめてである。
  
私は幼少より周りにA型だね。と言われながら育ち、また愚直にもA型的な自己イメージでもって生活してきた。自分はA型なのだ。と確信しそれを誇りにしつつ生きてきた。それがあるときから自分はAB型だったら良いな。と思うようになり、AB型の分裂性、天才性、希少性に憧れを抱くようになった。父親はB型だが母親の血液型が不明。そして妹のそれも不明。であるから一応すべての血液型である可能性が私には残されていた。
どうせAB型じゃないんだろうな。でももしかしたらAB型かもしれない。ああどうか、私がAB型ならばもう少しマシな人生を送れるだろうに。という祈りにも似た淡い望みを抱きながら綱渡りのような日々を摺り足で進んできたが、それも今日でおしまいだ。私はB型だったのだ。それで合点がいった。我が人生がかくも曖昧な苦渋に満ち(ていそうだけどそうでもない的な)、曖昧な風景にどこかしっくり来ず、B型の父に話し方やくしゃみやダジャレの内容やあまつさえ屁の音までそっくりだということに本来はもっと嫌悪感があっても良いはずなのに、何か諦めにも似た哀しみが私を毎分毎秒襲ってはすぐに消え、自分の立地点を見失うのだけどすぐに見つける。というような一連の冴えないことどもも、すべては私が「A型かな。だろうな。でもAB型だったら良いな。O型も良いけど。B?まあ、Bは無いんじゃない?」と可能性としてもっとも濃厚なのに、抑圧によるものだろうか軽視していたB型であったからなのだ。このズレに、自分自身の本質を見た。これからはB型の人間として、まっとうな日々を送っていきたいと思う(デタラメすぎる)。
  
  
というか、結論を言うとというか論がはじまってもいない感じですけど、献血車ほど良いもんも無いですね。外から見るほど狭っ苦しくなくて、適度に落ち着けるスペースがある。そこでは若くてかわいいお姉さんや麗しき淑女たちがぼくの手を取ったりガーゼで消毒してくれたり、優しい声で話しかけたりしてくれる。あの白帽と白いマスクなのだろうか。その間から覗く無垢(そう)な瞳なのだろうか。これはフェティシズムか?いつもはそんな喋り方じゃねえだろー、でもその一段落とした声、だろうか。ひっそりとうつむきながら書類にペンを走らせる横顔などを見るにつけ、ぼくの全身は震えてやるせなく、ウットリとしながらベッドに横たわり、27年という時間の圧倒的な密度に吐き気を催しつつ、「大丈夫ですか?」と声をかけられつつも別の理由(前述した27年の歳月と、自分の血を見たことと、注射針ですね。自分は先端恐怖症ではないだろうか?という恐怖)でふらふらしながら献血車を降り、さわやかな風の中へ放り出された。今日もここで何かが終り、そして何かがはじまったというのだろうか。いや相変わらず、何も変わっちゃいないに1万ルピー。この賭けはカタい。すべての女性は美しい。と呟いてみると詐欺師のような響きがした。マスクだろうか?口が「隠れている」ということが重要なのか。まあいずれにせよフェティッシュとしては浅いが。
   
  
   
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↑最近聴いてる曲なんかを適当にご紹介しときます。
Edo River
カーネーションの曲。カッコイイねー!こんな曲を作ってみたい。
 
いつも通り
シュガーベイブの「SONGS」より。いいなあ。「どんなに深く心通わせても 言葉ひとつがはじめのさよなら」という歌詞が良い。爽やかなサウンドによって流れる街と、そこからの疎外感、を経て街へ向かっていく衝動性などがうまく溶け合った名曲です。
 
薔薇と野獣
細野晴臣の「HOSONO HOUSE」より。カッコイイ!!なんてかっこいいんだ。ピアノが凄いし硬いドラムもかっこいい。こういうコード進行大好きです。
  
DANCER
山下達郎の「SPACY」より。これドラムがね、村上ポンタ秀一さんかな?グルーヴィでかっこいいね。北朝鮮へ帰っていった先輩のことを思って作った曲だそうで…凄いね。「どうすればいいんだ」って歌詞が沁みる。窓の外は闇。
  

クロード・ドビュッシーのピアノ曲集「版画」より。パリ万博でバリ島のガムラン音楽と出会い、その東洋的な響きは彼に多大なる影響を与えたという。この曲においてもそれは反映されていて、五音音階を用いた東洋的な旋律が何と耳に心地よいことか。この曲のイメージ喚起力は凄いですね。
  
なんか昔の曲ばっかりになってしまった。ドビュッシーはまあ、最近ですけど笑
  

» Tags:献血, 女の子たち, マスク,

Trackback(0) Comments(4) by 雨|2009-05-25 15:03

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