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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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初冬の幕滝へ

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浄土平や東吾妻山をはじめとした壮大な自然風景を貫く磐梯吾妻スカイライン。その下に位置する「幕滝」を見に行ったのは、スカイラインが冬季閉鎖してしまったすぐ後のことだった。



↑母成グリーンラインから安達太良山のほうを見る

  
母成グリーンラインに入ったところからすでに、めざす方角の山々(安達太良山系だ)の頭には白く雲がかかり、その下の山肌には雪が降り立っていた。福島の紅葉も盛りは過ぎただろう、しかしまだ晩秋の気配をとらえられるに違いない。と踏んで出かけたらとんでもない、すでに冬が訪れようとしていたのだ。
 


母成グリーンラインから見える景色を楽しみつつ国道115号に下りたぼくに飛び込んできた風景は、忘れがたい。一面オレンジに輝くカラマツ林、その向こうには白く化粧された安達太良の山。その雄大な広がり。冬にはぼくはきっと、あの風景にふたたび出会うために写真を撮りに行くのだろう(何故かそのとき写真は撮らなかった)。
 
横向温泉を左に過ぎながら地方道70号を進むと、磐梯吾妻スカイラインが左に延びている。閉鎖したあとということもあり、あたりは閑散としている(スカイライン入口の向かいには閉鎖され半壊した建物)。おまけに一帯を見渡せば雪の景色。遠く磐梯山が太陽に照らされて輝いている。
スカイラインを過ぎ少し下っていき幕川温泉に至る細い道に左折して入る。
 



そのまま道なりに初冬の山並みを眺めながらくねくねと進むと、水戸屋という温泉旅館が終点にあり、そこから幕滝への遊歩道が続いている。
 

準備をしていたら、雪がちらちら降ってきた。渓谷に入る。

手すりの無い危ない橋をいくつも渡る。積もった雪に足跡は無い。ということは少なくとも今日これまでに、山に入った人間はいないということであろう。この橋…危ないよ!ぐらぐら揺れたりすることはないけど斜めに歪んでたり穴があいてたり…まあ普通の靴で渡渉させてもらえるだけありがたいのだけども。


 
そして、今回の滝見旅でもっとも懸念していたのが「熊」である。幕滝では熊が出たというような話はあまり無いみたいだが、とにかくぼくは怯えまくっていた。おまけに雪が降ってくるわ人はいないわで、今にも熊が現れそうな雰囲気ではあった。で、鈴はもう片手に持って、積極的に鳴らしながら歩いた。
 

岩のごろた道や危なっかしい橋を渡渉しながらしばらく川沿いに遡行していく。だんだん滝に近づいてきた。そそり立つ岩壁にはつららが。いっそう鈴をかき鳴らしつつ奥へ。
 
すると目の前に巨大な壁が!

階段を上がって右手を仰げば、いよいよ幕滝がその姿を現す。
 

幕  滝(福島県福島市)

 
これは大迫力!落差は約30メートルとのことだが、それ以上の高さとスケールを感じさせる。

 

滝直下の展望台からの幕滝。展望台にはもちろん足跡は無い。真っ白の台上を蹂躙しながら、ちらつく雪にふるえながら、滝にただ驚嘆。
岩壁のいたるところから水がしみ出していて、いくつもの筋をつくっている。まるく大きな滝つぼが、豊富な水を集めている。



 
滝までの最後の巨大岩壁は、下に立ってみると今にも崩れ落ちそうで恐ろしい。まるで威嚇されているようだ。無数のつららがぶら下がり、それが時折落ちる音でびくっとなる。

 
 
始終熊への恐怖は消えなかったのだけど、素晴らしい滝の前に寒さも忘れた。いや、やっぱり寒かったな。結局というか、熊も出なかったので良かった。
紅葉のシーズンに間に合わなかったのは残念だけど、ちょうど冬のはじまりに来られたのも良かったかもしれない。冬の滝もいいよな。寒いけどな。
 
冷えた身体をあたためるために、つまり温泉に入るために、この後ぼくはさらに北東へと向かうのだった。


↑吾妻連峰の眺めへの名残を惜しみつつ、福島市街へと下りていく

  
  
 
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↑この日のお供は、「Mas/En Kei(えんけい)」だ!「ロック、ダブ、ジャズ、エレクトロニカを内包した」、「ポップでアンチポップな」3rdアルバムである。
→Mas/En Keiのページへ
 
似たような楽器構成にROVOなどがあるが、たとえばROVOが「宇宙」へと向かうトランシーな音楽であるのに対し、MasのEn Keiも同じくトランシーなカタルシスを含んでいるものの、その根幹にあるグルーヴはあくまで大地に根ざしているように感じる。ぼくがこの作品を愛するのはその点にある。
洗練されつつもどこかに泥臭さが残る、その感じがどこか日本的。それは「垢抜けなさ」とはまた違って、端的に言ってぼくはこれは日本の「祭り」のように聞こえるのだ。それが日本的であり、泥臭さ=アーシーである、と感じる由縁だと思う。
たとえば超絶技巧のドラムだが、よく聴くとドッコイショ的な、祭囃子のような、いわゆる「垢抜けない」フレーズが入っていたりする。で、そここそが魅力的なのだ。曲調も少しばかりトライバルな、しかしそれはフレーヴァーにとどまっている(たんに大谷さんがオワワワワとかアウーーッとか言ってるってトコかもしれんが笑)。
つまり日本のトライバルとは何処にあるのか。日本の民俗音楽に愚直にコミットせず、しかし極めて日本的であるということ。その回答、つまり日本の音楽の道筋が見えるような、個人的にはそんな思いである。
 
8曲目の「Factactacfah」なんか出だしのサックスがキャッチーでかっこいいんだが、5,6曲目の「Kanata」の凝縮感もたまらない。後半でベースが定型のフレーズで動き出すところのグルーヴは、車ん中で聴いたらヤバいヤバい。アクセル全開でハンドル無限転回である。ラストトラックが終って1曲目に戻るのもたまらない

 

» Tags:, Mas,

Trackback(0) Comments(8) by 雨|2010-11-28 20:08

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