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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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薄葉沢の滝群へ

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里美の薄葉沢の滝群へ。国道349号を北上する。せっかく近くまで来たので、まずは県境の明神峠を見に行くことにした。

と言っても特に何があるわけでもない。快適な国道が緩やかな上りとなって福島側へと抜けていく。ここも何度か通ったが、福島側は茨城側に輪をかけて田舎となり、だんだん道も狭くなる。
349はやがて矢祭町で118とぶつかって、はじかれたように北東の方角へ山を駆け上がっていく。
→福島側から峠を望む。穏やかな稜線の眺めが良い

↑上から峠を望む。いい歳したいい若いモンの下を、荷を積んだトラックや赤いスポーツカーが走り抜けていく。日常とはいったい何なのか、ときどきわからなくなる。おそらくトラックの運転手はそんなこと考える暇なんか無いのだ
  
さて峠わきの神社で旅の安全祈願をし、一転南進、薄葉沢の滝をめざす。里美側から見ると、猪鼻峠入口の信号手前に右へ入る細い道がある。小さな橋を渡るときれいに舗装された片側一車線の道路に乗る(猪鼻峠入口の信号につながっているのだが、未開通)ので道なりに進んでいく。
←この看板が目印。わりとわかりづらいので注意

→道端に何やら奇怪な(失礼)人形が…。
「篤姫 ―後期高令者」
と書いてある。何のこっちゃ。失念してしまったが、どうやら毎年行われている、ワラで編んで人形を作るとかそういったコンテストに出品されたもののようです。入選なすったようですね。そ、そうですか、おめでとうございます。

 
だんだん山が近づいてきて、そしてその手前でぷっつりと道路が消えている。いったいどこまで延ばすつもりだったのだろう?
そして道端にはずらりと並んだ車の列。10台以上停まっている。無人。

まさか大挙して滝を見に行ったわけでもあるまいし…とあたりを眺めていたら、看板を発見。

「里美富士」だって。地図にも地形図にも記載はない。標高638mと、県内ではそこそこ高い。たぶんみんなここへ登っていったのだろうな。明るい光に照らされた登山口とは反対の、沢を辿っていく暗い杉林の道を、ひとり歩きはじめる。
この上で薄葉沢の滝群は待っているのだ。
 
さ、寂しい。
  
  

美しい沢だ。一本南には生田川が流れており、どちらも素朴な、「しみじみと」綺麗な流れである。
  
沢を眺めては時折降りつつ、林道を登っていく。それにしても林道から沢へと大量のゴミが投げ捨てられていて、非常に気が滅入る。
どうしてわざわざこんなところに、自転車三輪車のたぐいを捨てなくちゃならないのだろう?他にも日用品やら紙クズやら空き缶やら…。ゴミを捨てていく人々は、直接的に水を汚しているという自覚があるのだろうか(ものを捨てること自体が必ずしも悪いとは思わない。人間の生活においてそれは、本質的な営みだといえるだろう)。
都合の悪いものは目に見えないところに隠してしまえば良い、という構図が現代日本をまさに象徴している。ぼくが声を大にして言いたいのは、その「隠蔽体質」は偽装問題とか政治とかのレヴェル云々ではなく、こうした「地元の河川」レヴェルで起こっていることなんだよ、ということだ。
最近ニュースでは凶悪犯罪の数々が取沙汰されているがよっぽどこっちのほうを取り上げるべきだと思いませんか。人権問題や被害者擁護や機会均等やら青少年育成やらに敏感な(正義感喧しかる)世間の人々が使う国道に散乱するゴミ、ゴミ、ゴミ…。それらを見るにつけ、乖離感がつきまとう。ああ、結局そんなもんじゃないか、と。世間が眉をしかめて騒ぐ「凶悪犯罪」の温床となっているのが実は何なのか、もうちょっと考えるべき人々が大勢いるんじゃないかとぼくなんかは思う。後期資本主義社会においては、自らの振る舞いにいかに自覚的であろうとするか、それが唯一の良心であるとすら思えて仕方ない今日この頃である(マスコミは誰を敵に回しちゃいけないかよくわかってるからなー)。
  
  
まあまあまあ、戯言は止して先へ進みましょう。車が停まっていて、さらに上のほうで伐採作業を行っているようだ。そういえばこの辺りの林は比較的きちんと管理されている。
車の脇をすり抜けてさらに進むと、沢が湾曲していて崖に上流が隠れ見えなくなっている、さらにその奥のほうから水飛沫の激しい音がきこえてくる、という何ともわくわくする地形に遭遇。
目の前の沢は水量はさほどでもないのだけど、スニーカーで来てしまったために渡渉は難しい。と、右手に崖を登っていく道を発見しこれを登ると見えた!素晴らしい滝だ。
 
 
滝口で二又にわかれ、勢いよく水を落としている。滝群の中でもっとも下流に位置し、そして最初にお目見えする(に相応しい)塩の草滝である。まだ紅葉が残っていて(日照が少ないせいか、黄葉にとどまってはいるが)、風情に色をそえる。石伝いに何とか沢を渡って、滝を左岸から眺める。風情!水量は結構ある

 
この上にすぐ「薬研の滝」が激しく流れ落ちる。
沢に入らないと正面から滝を見据えられないし、長靴でもないと上へ行くのも厳しそうだということで、今日はここで帰ってきてしまったのだけど、後日来てみたら塩の草滝から右岸を高巻きしていく道があったのだった。次回はその先に連なる滝群を追ってお目にかけたい。
  
  
  
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↑ぼくが問題だと思うのは、「本音」と「建前」が利益を得るためのツールと化してしまっていて、それを無自覚に行使しているところです。伝統的日本的価値観、なんて口に出すにも笑っちゃいますが、それでも良い面悪い面含めて昔からの日本人像をある程度規定していたわけですからね。今やすべての行動規範が「利益」を最優先させるかたちになっているでしょう。そこに対する自省性がわれわれの中からそれこさ「伝統的に」湧出してこない限り、現代日本の閉塞感は打破されない気がしますね。そしてデオダートの奏でるフュージョン(「ラプソディー・イン・ブルー」や「ツァラトゥストラはかく語りき」とかのクラシックをアレンジしたり)は聴かず嫌いだったぼくの耳に今では非常に心地よく響くのであった。ただ歳を取っただけでも、目の前にはいくらでも豊穣が転がっているものだ。それはいくぶん哀しく、そしてまたいつでもひらかれている
  

» Tags:, 茨城北部,

Trackback(0) Comments(2) by 雨|2008-12-29 03:03

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