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第一話〜第十九話はゆたり出版の「かさまのうつわ」に再編集し収録されています。「かさまのうつわ」はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[かさまのうつわ] 記事数:19

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第七回 會澤さとみさん

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 笠間を中心に静かな人気を集めている「きのみの」。これは、陶芸家の會澤さとみさんが製造から販売までをすべて一人で手がける陶器とお菓子を供するアトリエの屋号です。器を作りつつ、お菓子も作る會澤さんは「食べる焼き物と食べられない焼き物を作っているんです」と笑顔でおっしゃいます。

 きのみののお菓子にはその名の通りアーモンド、クルミ、カシューナッツにピカンナッツのほか、ひまわりやかぼちゃの種、いちじくなどの木の実がふんだんに使われています。使用する材料はすべて植物性のもので、乳製品や添加物などは一切使用していません。オーガニック系の食べ物は、こってりとした濃厚な味に慣れてしまった舌には得てして物足りなく感じられがちですが、會澤さんの作るお菓子は味覚も心も満たされると多くの支持を得ています。





 出身は茨城県日立市。高校卒業後、洋服のデザインを学び、東京のデザイン会社に就職します。「そこで3年間、洋服の型紙を起こす仕事をしていました。デザインなどはみんなで考えるのですが、その後はとにかくずっと型紙を作っていたんです。楽しいけれど、作業の中の一工程しか見ることができず‘何か違うなぁ‘と感じていました」
 ある日、通勤途中に陶芸教室を見つけます。「原宿にある陶芸教室で、一度見学をさせてもらって。土を練るところから完成までを全部一人でやる陶芸は、自分のやっていることと真逆な世界で強く魅かれました」

 その後日立の実家に帰省したとき、近所の陶芸教室に行ってみたという會澤さん。“焼き物をやってみたい、ここで働きたい”と強く感じ、東京から地元に戻ってろくろなどを学びながら教室の手伝いを始めます。その後さらに本格的に陶芸を学ぼうと笠間の窯業指導所に入り、成形科と釉薬科であわせて1年半学びました。「それはもう焼き物にどっぷり入り込んだ年月でしたね。地元に住んでいたころは、陶炎祭にも1回くらいしか行ったことがなかったのに。笠間っていえば、焼き物というようりはツツジの花っていうイメージでしたから(笑)」





 窯業指導所で知り合ったご主人は笠間焼作家の酒井敦志之さん。独立と同時に二人で八郷に窯を持ち7年を過ごし、現在は笠間市の焼き物通りと呼ばれる道路から少し奥まったところにあるご主人のご実家に暮らしています。
 「自分も陶芸家になり、陶芸家の妻になったものの、サラリーマン家庭に育った私にとっては、常に多くの人が出入りする自営業の生活は驚きでした。窯焚きだ、窯出しだといってはどんどん人が来て、ごはんを作って出して、お菓子も作って出して。いつも誰かがごはんを食べている、そんな毎日なんです」
 ごはんはさておき、忙しい毎日の中でお菓子までを手作りして大勢のお客様にふるまうのは、そうそうできることではありません。でも、その状況を楽しもうと心がけていたという會澤さん。実は「食べられる焼き物=お菓子づくり」のキャリアは、「食べられない焼き物=陶芸」よりもはるかに長かったのです。




きのみの





 「今でも忘れない、小学校5年生のときにうちにオーブンが来たんです。それはもう私にとって最高のおもちゃでした。毎日、毎日飽きることなくお菓子を作り続けました」。11歳の少女が一日に5回も、納得するまでスポンジケーキを焼いたこともあったとか。そのうち、お母さまのお友達がお菓子を教わりに来るまでになったというのだから驚きです。当時どこの家庭にもあるというわけではなかったオーブンが来た日から今に至るまで、その間の結婚や出産などさまざまな人生のシーンで環境が変わることがあってもお菓子を作ることだけは途切れることがなかったのだそう。

 會澤さんに大きな転機が訪れたのは2011年のこと。會澤さんの胸の中には何年もの間温めていた夢がありました。
 「それまで続けてきたお菓子づくりを自宅でかたちにしたいという思いがずっとあり、その方法を模索していました。でも、設備のこと、なかでも家が井戸水だということが一番問題でした。水道を引く費用などを考えると、これはとても無理だなぁと諦めていたんです」
 ところがその井戸水が震災のあと途絶えてしまいます。「それまでも出たり出なかったりはありましたが、ほとんど出なくなってしまって。生活するためにはどうしても水道を引かなくてはいけなくなったんです。私の中で、これできのみのができる!とパーンとフタが開いた気がしました」。夢と現実が音を立てて合致した瞬間です。大切な薪窯が全壊し、住居も大きな被害を受けてしまった中で「きのみの」をスタートさせることは、胸の中の希望の光に向かって進むようなことだったのではないでしょうか。

 2012年12月、長年の夢の始まりです。月に一度の自宅販売、またイベントでの販売などを通じてきのみののお菓子は人気を集めます。どの販売でもいつも完売。「それはとてもありがたいです。きのみのを始めてみて意外だったのは、男性の方ですとか、ご年配の方が好んで買いにきてくださること。もしかしたらいろいろなものがある中で、こういうシンプルな味は新鮮なのかもしれませんね」





 きのみののマークは笠間在住の造形作家、佐々倉文さんによるもの。「こんな風にきのみのをやりたい、という話を佐々倉さんにしました。木の実の生命力を取り込むことで、体の内側から元気になるような、おいしいだけではなく糧になるお菓子を作りたい。栄養もあって、心にもしみていくような・・・」。そんな思いを形にしたきのみののマークは木の実と母性をあらわしています。優しく物語を紡ぐようなロゴとともに、すんなり視覚に入ってくる形。
 そのマークをお皿にしたものにきのみののお菓子をのせる。これは作業の一工程しか関われなかった会社員時代と、まさに正反対。すべてが自分の手から生まれたものです。

 「焼き物は、小ぎれいな感じより土味の感じられるものが好きです。赤土の入った土で作って一度色化粧をします。それを削ったりひっかいたりして作っています。窯業指導所の釉薬科にいたときは、お菓子のアイシングみたいな釉薬を作りたいと思っていろいろやってみました」と言う通り、優しいピンク色やたまごいろの釉薬が作り出す會澤さんの器はおいしそうな色合いです。

 ご主人の酒井さんは會澤さんの器についてどう思っていらっしゃるのでしょうか。
 「その時その時で器にテーマがあって、本人なりのストーリーを組み立てた上で形にしています。ただ作る、ということはしていなくて、ちゃんと考えて作っている。きのみののお菓子にしても、それに関連付けしながら器も作っているので器に具体性があって説得力があると思います。お菓子も作れるって言うのは器だけじゃない強みなんじゃないかな」
 一方で會澤さんは「酒井さんは陶芸家としてあまりに本物で、子供のときから土に触れている人にはかなわないと感じることがあります(酒井さんのお父さまは陶芸家・酒井一臣氏)。自分は手先だけで作ってると思ってしまうこともある」。そんな風にお互いを認め合っているお二人なのです。

 會澤さんは中学生と小学生の二人の男の子のお母さんでもあります。家事や学校行事をこなしながらの陶芸とお菓子づくりは目の回るような忙しさではないでしょうか。
 「いまは焼き物よりきのみののお菓子を作ることに重心が寄っています。なかなか時間がとれなくて、大きな器などの焼き物は作れないんですが・・・」。そういって見せてくれたのが小さくてかわいいフェーブ()。なんと、きのみののお菓子の世界が焼き物で表現されているではありませんか。あまりのかわいらしさに、しばし息をのんで見入ってしまいました。





 「これならお菓子を作りながらでもできるので、これからはこういった焼き物を作っていきたいんです」。こんなかわいらしい「食べられない焼き物」がお店に並んだら、これまたあっというまにお客さまの元に旅立っていくのではないでしょうか。
 そしてきのみののお菓子。「お菓子のなる木をいつもイメージしています。私は、それを育てる人になりたいなと思うんです。草の上に落ちていても違和感がないような自然に近いお菓子。それを、拾ったりもいだりして『はい、どうぞ』って人に渡すような気持ちで作り続けていきたいんです」





 かめばかむほど心がほぐれていくような、記憶の遠いところで懐かしい人がほほ笑んでいるような、味わい深いきのみののお菓子。木の実のようなお菓子、器の実のような陶器を作りたいという思いを込める會澤さんが、お菓子と焼き物で綴る物語の続きが心から楽しみです。
(しばたあきこ)

※ フランス語で「ソラマメ」の意。フランスの祭で食べられるパイ菓子「ガレット・デ・ロワ」の中に入っている陶器で作られた小さな人形。






DATA:

きのみの

茨城県笠間市下市毛1423-1(酒井陶房内)|Tel.0296-72-0777
(お菓子の購入に関しては、HPでスケジュールをご確認ください)

>きのみの http://kinomino-yum.com/




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