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「本気で遊ぶ まちの部活」はゆたり出版の「ゆたり文庫 地方に暮らす。シリーズ03 本気で遊ぶ まちの部活」に再編集し収録されています。書籍はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[地方に暮らす。[前橋○○部]] 記事数:10

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第五話|まえばし×ふくしま部、前橋と福島をつなぐ芋煮会

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 2011年3月11日に起きた東日本大震災。福島県では東京電力福島第一原発事故が勃発。隣県である群馬県には福島から多くの被災者が避難し、今なお1000人を超える避難者が暮らしています(2016年4月28日現在/復興庁調べ)。
 2012年11月4日、福島からの避難者や前橋市民に約500人前の福島風芋煮鍋を振る舞う「前橋芋煮会」が、前橋の中心市街地で開催されました。主催したのは、「まえばし×ふくしま部」。部長を務める髙山弘毅さんは「ただ単純に福島を好きな人が集まり、福島、への想いをつなぐ場所を作りたかった」と話しますが、当時、多くの人々が抱えていた「被災地のために何かしたい」という漠然とした復興支援への想いをつなぐプラットフォームとして、「まえばし×ふくしま部」は大きな役割を果たしたのです。


前橋産の野菜と福島産の味噌を用いた特製芋煮鍋




福島を想う人たちをつなげたい

 前橋市社会福祉協議会(前橋社協)に勤務する髙山さんは前橋市出身。東京の大学を卒業後、ファッション業界に進みましたが、2歳年下の弟が事故にあったのをきっかけに、福祉の道へ。通信制の大学で社会福祉士の資格を取得し、2004年に前橋社協に入職します。東日本大震災当時、前橋社協内のボランティアセンターでボランティアや市民活動のサポートを担当していた髙山さんは、震災直後から福島県内の社会福祉協議会に派遣され、延べ70日間に渡っていわき市や福島市、相馬市などでボランティアの受け入れ調整や支援のニーズを把握する災害ボランティアセンターの運営に携わりました。
 被災地支援の最前線で働く中で、原発に関する価値観の相違など福島が抱える問題に直面し、復興支援の難しさを痛感した髙山さん。一方で、美しい自然や美味しい食べ物など福島の魅力にも触れ、前橋のみんなに伝えたいという想いが芽生えたと言います。
 「被災地を気にかけている人はたくさんいるが、個人レベルで『復興支援』というとハードルが上がってしまう。もっと単純に福島の魅力を知る。前橋市民と福島県民がつながる。楽しいことを一緒にやる。それをきっかけに福島と関わってくれる人が増えるといいなぁ。そんなことをFacebook上でつぶやいていたら、同じような想いを共有している人がいることを知ったんです」
 福島出身だから。友達が福島に住んでいるから。仕事で何度も訪れた場所だから。理由はさまざまですが、福島が好きな人、福島を気にかけている人は前橋にもたくさんいる。髙山さんは、復興支援を前面に押し出すのではなく、福島への想いを緩やかにつなぐ場所を作りたいと考えます。
 2012年7月の「まえばしシャルソン」への参加をきっかけに、前橋〇〇部の活動に興味を持っていた髙山さん。2012年9月に開催された「前橋全部」のプレゼン大会で仲間を募ると、福島出身の松崎博美さん、富樫英美さん、まえばしCITYエフエムに勤める竹内躍人さんら5人のメンバーが手をあげました。「まえばし×ふくしま部」の誕生です。


前橋〇〇部の藤澤部長が“〇〇部の良心”と評する髙山さん




小さな思いつきが、500人規模のイベントに


芋煮会隊長の竹内さん。今年5月まで『bushitsu』の管理人も務めていた

 「芋煮をやりませんか?」、第1回目の部活動として「芋煮会」を提案したのは、竹内さんです。震災が起こった当時、高崎経済大学の3年生だった竹内さんは、中学・高校時代の親友が学生団体・福島大学災害ボランティアセンターで活動していたことがきっかけで、何度も福島を訪れていました。
 芋煮会は、里芋の収穫時期に合わせて行われる東北地方の秋の風物詩。親しい仲間が河川敷や公園に集まり、里芋を始めとする野菜やキノコ、肉などを煮込んだ鍋を囲みます。味付けは地方によって様々で、福島では味噌味が一般的です。芋煮会という文化に憧れを持っていた竹内さん。「前橋でもやってみたいというシンプルな思いだけで、最初は大きなイベントにするつもりはなかった」と言いますが、前橋社協と榛東村社協が300人分の炊き出しができる大鍋を貸し出してくれたことで、方針を転換します。「たくさんの人に芋煮を食べてもらい、福島について考えるきっかけにしてもらおう」


芋煮会前日の準備にも十数名の市民が駆けつけた

 会場は、当時中央通り商店街にあった「ふくしまや」。福島の物産品を販売するアンテナショップで、前橋市民と避難者らの交流拠点になっていました。ふくしまやで芋煮会の開催を知った前橋在住の料理人・神尾哲男さんが、福島産の味噌を使ったレシピを考案。前日に行った大量の野菜の下準備も、「ふくしまや」のお客様や従業員、Facebookでイベントを知った人など、「福島のために何かしたい」と考える多数の市民が集まって手伝ってくれました。
 芋煮は無料とし、気持ちでお金を入れてもらう「投げ銭BOX」を設けることにしました。「支援金を募ることではなく、美味しい芋煮をたくさんの人に食べてもらうことが一番の目的だったから」と髙山さんは説明します。
 2012年11月4日、いよいよ「第1回前橋芋煮会」のスタートです。竹内さんのつながりで、福島大学災害ボランティアセンターのメンバーも駆けつけてくれました。2つの大鍋に用意した500人前の芋煮を前に、「4~5時間で何とか無くなるかな。あまったら、商店街で配って回ろう」と予測していた竹内さん。ところが開始直後から行列ができ、芋煮はわずか2時間で配布終了に。投げ銭BOXには59,412円の支援金が集まり、福島大のメンバーが持参した果物や物産品も完売となりました。芋煮に舌鼓を打ちながら「今、福島はどうなってるの?」と声をかけてくれる人も。「直接福島と縁がなくても、前橋の人は福島に関するアクションを起こすと興味を持ってくれる」、竹内さんは確かな手ごたえを得たと振り返ります。




前橋を好きになろう

 芋煮会には、「福島を想うこと」と同時にもう一つの狙いがありました。前橋に住む人々に、前橋を好きになってもらうことです。
 「地震などの災害が起こった際、どれだけ町の事を愛している人がいるか、人と人とがつながっているかが大切だと思う」と竹内さん。前橋でどのような農産物が作られているかを知り、その美味しさに触れることで自分の住む町に誇りを持ってもらいたい。そんな想いから、芋煮に使用する野菜と肉は前橋を中心とした群馬県産にこだわりました。Facebookで食材の提供を募ると、前橋市内の農家を始め、こんにゃくメーカー、群馬県養豚協会などが食材提供を申し出てくれました。家庭菜園で育てた野菜や、道の駅で買った野菜を持ってきてくれる人もいて、ほぼ100%を提供で賄うことができたそうです。


第2回芋煮会の様子。たくさんのメディアから注目を集めた

 芋煮会は2013年10月に第2回、2014年11月に第3回を開催。第2回からは福島の協力団体が3つに増え、被災地の生の声を届けるトークイベントも関心を集めました。
 たくさんの人を巻き込んで盛大に行ってきた芋煮会ですが、第4回目は50人規模に縮小し、福島大のメンバーと合同で2016年2月に行われました。仲間たちと気軽に鍋を囲み、福島の今を語り合う。竹内さんが最初にイメージしていた本来の芋煮会の形であり、竹内さん曰く、「原点回帰」です。




ふくしま愛がある限り続いていく

 東日本大震災から今年で丸5年。震災後に立ち上がった支援団体の中には、解散したり、活動の形を変えていくグループも少なくありません。
 「支援する、という気持ちだけでは、まえばし×ふくしま部も続かなかったでしょう。僕たちは前提として福島が好き。福島にも行くし、福島から前橋に遊びに来てくれる人もいる。顔と顔が見える関係、“ふくしま愛”があるんです」と髙山さんと竹内さん。
 会津の郷土料理「こづゆ」の料理教室、前橋産の野菜スティックを福島の調味料やソースでいただく「野菜スティックバー」、会津若松への「漆の芸術祭ツアー」。これまでに行ってきたまえばし×ふくしま部の活動は、すべて部員の「やりたい!」をカタチにしたものです。
 好きなことで人がつながり、結果として社会のためになる―。まえばし×ふくしま部は前橋〇〇部の理想形を、体現している部活と言えるかもしれません。 “ふくしま愛”に支えられて、まえばし×ふくしま部の活動はこれからも緩やかに続いていきます。


芋煮会で福島産の果物を販売する福島災害ボランティアセンターのメンバー。交流は現在も続いている

(文=林 道子)

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