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「本気で遊ぶ まちの部活」はゆたり出版の「ゆたり文庫 地方に暮らす。シリーズ03 本気で遊ぶ まちの部活」に再編集し収録されています。書籍はネット通販、書店、販売協力店でお買い求めできます。詳しくは本とゆたりをご覧ください。


[地方に暮らす。[前橋○○部]] 記事数:10

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第四話|bushitsuができた!

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弁天通りに生まれたbushitsu




中心市街地に部員が気軽に集える場所を

 2013年3月30日、前橋市の街なかに「前橋〇〇部」のbushitsu(部室)が誕生しました。
 「もともとはマンちゃん(岡田達郎)と岡と一緒に、前橋自転車通勤部の部室をと画策していた。また当時、前橋にまだ無かったコワーキングスペースにしようと考えたこともあった」と藤澤さん。しかし、次々と部活が立ち上がり活動を続けるなか、「気軽に部員たちが集まれる場所がない」という悩みは常についてまわっていました。それを解消するため、前橋〇〇部全体のbushitsuというカタチになったのです。
 場所は、レトロな街並みが残るアーケード街・弁天通りにある古い店舗付き住宅。1階部分は、元カレー店で20畳ほどの空間が2枚の壁で仕切られていました。2階部分は住居空間。家賃は月額5万5000円と格安。「これはいい!」とひと目惚れした藤澤さん。2階部分は友人の竹内躍人さんに管理人として月額30,000円で住んでもらい、1階部分をbushitsuにすることに決めました。
 とはいえ、建物はあちこちにガタが来ているうえ、多くの人が集まるbushitsuに仕切りの壁は不要です。お金をかけず自分たちで修繕しようと、壁をハンマーで打ち破ることからスタート。「会社帰りに毎日立ち寄り、みんなで解体作業やゴミの分別を行った。内装は電気工事業を営む友人の父親がボランティアで手伝ってくれた」。人と人とのつながりを実感する藤澤さん。自分たちの空間が誕生するまでの高揚感を1人でも多くの人と共有するため、作業の様子はUstreamで中継しました。


目印は自転車神輿


 当時、FBで藤澤さんはこう発信しています。

bushitsuは、前橋の新しい「交流」の場所。
誰かと話したい。ゆっくりと仕事がしたい。
面白い事を主催したい。面白い事に参加したい。静かに勉強したい。女の子と出会いたい。
良い音楽が聴きたい。
美味しいコーヒーが飲みたい。
何もしないでぼーっとしたい。
誰かと映画が観たい。
愚痴を言いたい。
笑いたい。
泣きたい。
全部やれる場所を作ろう。




オープンを急いだ理由

 「bushitsuのオープンは3月下旬。これは死守したかった」と藤澤さん。
ちょうど同時期、前橋の街なかに「アーツ前橋」というミュージアムが生まれました。同館のオープニングイベントとして、アーティスト・藤浩志さんが地域に“部室”という拠点をつくり、アート活動を展開する「地域アートプロジェクト」を4月1日からスタートすることが決まっていたからです。「部室」と「bushitsu」、漢字と英語という差はあっても響きは同じです。
 「藤さんのプロジェクトと前橋〇〇部の活動を同一視されたくなかった。アートという特別なものに携わる人だけではなく、好きなことを部活にし、自由に活用できる空間がbushitsu」。高校時代に美大進学を諦め、その後もアートへの憧憬を抱きながらも、そのメインストリームとは距離を置いてきたという藤澤さん。「マンガやアニメなどサブカルチャーに大きな影響を受けて生きてきた自分には、アートに対するコンプレックスがあったのかもしれない」と振り返ります。bushitsuにかかげている『STOP MAKING SENCE(意味づけをするな)』という言葉は、アートに対するアンチテーゼであり、同時に藤澤さん自身がコンプレックスに打ち勝つためのメッセージなのかもしれません。
 果たして、藤澤さんの内に秘めた情熱が、強行スケジュールでのbushitsuのオープンを実現させました。


内装も手作り




まちに機能するbushitsu、その役割

 3月30日、オープン当日は、入口にレッドカーペットを敷き、30人ほどのゲストが集まるなか、華々しくオープニングパーティーを開催しました。シャッター街のど真ん中に突如現れた不思議な空間は、前橋市民に大きなインパクトを与えたようです。その後は毎日、FBを見た人たちがふらりと遊びに来るようになりました。1週間後の4月6日には前橋市長・山本龍氏が顔を見せ、すぐさま藤澤さんと意気投合。前橋〇〇部の活動やbushitsuに大絶賛を送りました。


レッドカーペットを敷いてオープニングパーティー


 本棚に置かれたマンガや雑誌は自由に閲覧でき、貸し出しもOK。藤澤さんらはシネマ上映会やトークライブ、パーティーなどのイベントを次々と仕掛け、bushitsuはどんどん盛り上がりを見せていきました。「自分の家でもない、人の家でもない、最高に居心地のいい空間」が生まれたことで、閑散としていた弁天通りに若い人たちの姿が戻ってきました。朝から夜まで、何やら楽しそうな空気をまとった若者たちが通りを往来するようになったのです。
 bushitsuを部活で使う際の費用は3時間1500円。物販を伴う場合は2500円に設定にしました。他のレンタルスペースなどと比べると破格の安さです。「金儲けが目的ではない。部活をやる人なら、誰れにでも気軽に自由に利用してほしかった」と藤澤さん。面倒な予約フォームなどは一切なく、使用する際は藤澤さんに電話かメールをすればOK。飲み物食べ物の持込みも大歓迎です。
 bushitsuが誕生したことで新たに生まれた部活があります。その1つが「前橋☆地酒部」。県内の酒蔵の社長をbushitsuに招待し、こだわりの酒の話を肴に、地酒を存分に味わい、みんなで群馬の酒蔵を応援して行こうというものです。「前橋葡萄酒部」もここで定期的にワインの勉強会を開催するようになりました。また、bushitsuを見た地元の大学生たちが、前橋〇〇部のカルチャーに共感し、「前橋帰宅部」を始めました。理屈抜きに「この場所がかっこいいからここで遊びたい」と集まるようになったのです。藤澤さんは、前橋帰宅部について次のように話します。
 「今まで前橋は『まちに人が集まらないから〇〇という趣味で部活を作り、無理やりに人を結びつけていた』わけですが、彼らはそれをすっ飛ばした。もう〇〇はいらないよ、と。これは前橋〇〇部がまちへ与えた最大のインパクトじゃないかと思う」
 そして、特筆したいのは、前橋〇〇部とアーティストとのコラボ的なプロジェクトが生まれ始めているということです。藤澤さん自身のコンプレックスに端を発したbushitsuですが、あえてアートとの対立姿勢を示すことで芸術や文化への思考を深めることにつながったのかもしれません。その後、前橋市内には続々とコミュニティスペースが誕生していきました。行政を巻き込んだ動きへと発展してきたのです。そんな中、bushitsuは2016年5月末にその役割を終えることになりました。「前橋の街づくりは次のステップへ向かっている。bushitsuも前橋〇〇部も新たなプラットフォームとして健闘したい」と藤澤さんはその理由を話してくれました。「前橋に気軽に人が集う空間をつくりたい」。シンプルな想いの裏に隠された藤澤さんの情熱は、bushitsuという空間を超え、次の展開へと続いていきます。


最高に居心地のいい場所


(文=阿部 奈穂子)

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