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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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夏に行きたい神社・薩都神社

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いま県別マップル道路地図茨城県広域・詳細の番号にして「75」の頁を開いて見ている。図のほぼ中央を国道349号が南北に走っており、その一番南に国道沿いのセブンイレブンがある。このあたりを里野宮といいこのセブンはセブンイレブン里野宮店である。このセブンイレブン里野宮店のちょうど裏っ側あたりに薩都神社があるのだが鳥居マークの標示が無い。けしからんことです。由々しきことです。何でかっていうとこの薩都神社は式内社だからです。古い歴史を持つっちゅうことです。近くの天志良波神社(こちらも式内社)は地図にあるのになあ。
つーわけで、地図に書いてないけど式内社(そういう神社も多いのです)である薩都神社をご紹介したく存知ます。この神社は国道を一本外れた道路沿いにあり、田んぼと民家に囲まれて昔ながらの風情が残るとても雰囲気のいい場所であります。

  
神社の鳥居の前には立派な松が門がわり鳥居がわりとなって伸びている。これをパシャパシャうーんこの曲がりが何とも、時代の変遷と不変の悠久を思わせるような曲線だなあと唸りながら写真を撮っていると道向かいの良い感じの民家の前で猫が座っている。おっ猫じゃん。旅に猫の写真はスタンダードっつうか、お決まりっつうか、手っ取り早く体裁がととのうんじゃん、ここは撮っとかな損やで、という貧乏根性が働きパショパショ撮っているとよく見るとその猫は年老いてボロボロで愛想も無く簡単にいえば貧相だった。シャッターを切る指が一瞬躊躇し、そのまま意気消沈していったことを正直に申し上げなければなるまい。その刹那、音も無く近づいてきた翁が猫の背後で突如「これこのやろほんのやろがほれまーすべらめすがつぬらげ!!」と大声を発して猫は逃走、いずこかへと消え去った。翁は柔和な表情を取り戻し、ああ猫のおかげで私の不審さは軽減されたのだ。哀れみつつ鳥居をくぐる。
石畳の参道はそれほど長くはなく、縦長の境内もいたってシンプルで去年新しく建て替えられた二の鳥居と手水舎があるくらいで、さほど広くは無い。主祭神は立速男命で創祀は延暦七年(788)、大永二年(1522)現在地に遷座。北の御岩山や神峯山なんかと縁の深い神社であるようだ本殿には動物(虎?と象)の彫刻が施されていて、珍奇、興味深い。

常陸国風土記をひもといてみよう。以下、自分が適当にニュアンスを感じつつわかりやすいように風土記による薩都神社の記述を訳します。
 
東の大きな山っつってもここらへんはずっと平地で田んぼっきゃねえからそこらへんから眺めたら大きいかなってくらいだけんどもね、まあそこが賀毘禮の高峰といって、まあそっただ高い山には、っつったってそーただ大きい山っつうわけでもねえのよ。な、便宜っつうもんがあっからまあそこはひとつよろすぐお願えしますってなコレ!あれ何くっちゃべってたんだっけか?冗談だよ冗談、マイケルジョーダンだっつべが。なに、ジョーダンつったらデューク・ジョーダンしかいねえって?おら知らねそんなの。デュークっつったらデューク・ピアソンだっぺよ。
まええや、んでそういう高え山にはだいたい神様が降りてくんのよ。くんだっつの。んでそこにもいだんだ、立速男命(たちはやをのみこと)つうのが。つうのがなんて言ってっと怒られっちまうけど、その神さまは甚だ厳しい人なんだわな、
怒られっちまうべよー。こーただ喋ってたっけ。
怒られっちまう。ぇえ?
ほんとおっかねえが。や、ほんと。つったってどうせ作り話なんだからひとっつも怖かねえけど、神話とか伝記っつうのはそれが生まれた経緯や意図を紐解くのが面白いの。馬鹿のひとつ覚えじゃねえんだ、幽霊は存在しねえとかするとか、予言なんか当たるわけねえとか当たるとか、Perfumeのコンピューターシティでまた泣いちゃいましたとか、そっただくだらねえこと言ってっからいつまでたってもダメなんだ。神は我が心のうちにある。
でその内なる神さんはほんと厳しくてよお、つうかあれなんだ気まぐれのこまっしゃぐれだか、松沢の松の樹の上さ降りてきて、村の者んが厠で神さんのほうに向いただけでもうマジギレですよ。村には神さんのばら撒いたウイルスによって疫病が発生し、汚い尻の村人たちはつぎつぎと倒れていったのだった。

憂慮した近くの村人(いい具合に尻の角度を調節したのだろう)が朝廷に相談し、片岡さんという大連の人を朝廷が派遣して「愚民どもの汚い尻をお向けしてしまって本当にどうも申し訳ございません。こーだとこに居られましては、百姓の家が近いんだから朝晩尻臭くってけがらわしいこと夥しいすよ。こーだとこに居られるべきでないです。どーかここは避けてもらってだね、高い山の空気がきれいな場所さ落ち着いてもらうと、あんたも清々しいだろうしわでらも助かるんですゎ」と言わしめたそうな。
これを聞いた立速男命、「そおなん?どうりで尻臭いと思ったわ。つーか有り得ないからマジでこの汚さ臭さ。俺のほう向いて汚い尻出してんじゃねえよっていう。ウケルー。んじゃ」と言ってピューとれーかびの峰に登ってった。いや、ウケないし。KYだよあいつでじまー。ほっ村人は胸をなで下ろした。

爾来、毎年9月には御岩山の賀毘禮の峰にピューと登っていき、4月になると戻ってきて民衆の汚い尻をひっぱたいて回る神さんの御姿が見られるっていうんで有名なわけないじゃん。有り得ない系。汚い尻なんか見たく無いし。ていうか大きくてヤダーとかいうけどそれって結構良い尻し。そういう尻を、私は見たい。
 
これをさらにかいつまんでわかりやすく解説いたしますと、どうやらこの立速男命、天つ神ということで山より降りてくる雷神としての性格を帯びていたようだす。このあたり一帯が古来より農耕地帯であったことを鑑みれば、この神さんが降り立ったという「松沢の松の樹」は豊穣を祈る祭礼のさいの神の依代として機能していたのだろうと考えられるわけで、さらに雷の神であることから豊穣祈願をし、稲作の終ったのち(旧暦11月?)に御岩山へとお帰りいただき、また田植えのはじまる4月ころに降りてきていただくといった祭礼が行われていたのだろうなあと推察されるわけです。
あまり民に好かれていなかったという側面におきましては、雷だけあって時折気まぐれのように荒れ狂う神さんのことですから、やっぱり昨今の異常気象にあてられますとね、どうしても激しい雷雨なんかはちょっと怖いなあやだなあ、と思いますよね。あと見逃せないのが村人の排泄物に対して非常なりし祟りがあったりしというところなんですが、これは御岩山周辺、あるいは御岩山とお隣の神峰山の谷間では中世より鉱山による鉄や銅などの採掘が行われており、これが実はもっと昔から行われていたのではないかという推察がなされております。となると村人の排泄物=穢れというのは鉱山から流れてくる有毒物、鉱毒であったと考えることができるわけですね。

つまり、要約します。古来より神峰山御岩山という聖峰のふもとの平野において稲作を行っていた民は、山で行っていた鉱山開発に伴う鉱毒によって害を受けていた。これを村人が糞尿を垂流していることに対する神の祟りだとして、時折発生する雷雲を神が怒っていることの現れだと見立て怖れた。と同時に恵みの雨を降らすことから崇拝の対象であり、松沢の松の樹を神の依代として豊穣祈願の祭祀を執り行い、神の怒りを鎮め崇敬と感謝の念をあらわすべく9月には豊穣の祭りにより神に山にお帰りいただき、4月になればまた豊穣を祈って神にお越しいただきもてなす。こういう祭りとともに神社が発展していったと。こんなふうに考えることができると思います。
こうやって見ていくと、当時の人たちが直面していた問題や、地理的な背景、生活の基盤などさまざまな要素がまざりあうことで薩都神社の神が成立していった経緯が非常によくわかります。
 
以上、薩都神社のもつ現代へと続いている歴史を風土記を紐解きわっかりやすく説明差し上げた所存にございますがなに、ぜんぜんわかりやすくない?つうか無駄に文章がごたごたしてて読みづらいと?そっただこと言ったってしゃあんめよ。シャアアズナブルんめ。大阪弁をしゃきしゃきっと使ったように茨城弁を使っていなせな文章を拵えようと思ったんだあしかし、これでは茨詭弁だな。ボソボソ喋っことしかでぎねえが、いなせなんつうのはねえんだわ。いーごろねえんだわ。茨城弁のせいにするなと?うっせ、構め、ごじゃっぺしたってひとっつも構めっつの。って何でこんなに言葉が汚いのかしら。やあだわあ。街の明かりがとても綺麗じゃん。スタイルが定まらない・もしくはその稚拙さについては、今後も憂慮していく所存。
  
  
境内西側の道路を隔てれば民家が南北に伸び、東側には民家と田んぼ。のどかな集落のひとときは、しばし夏の殺人的な暑さを忘れさせてくれる。立速男命の気まぐれも、この日は無かった。境内裏の田んぼでは風を受けた稲穂が揺れ、それを眺めるおばあさんの背中があった。ここ里野宮から南の西宮にかけては、歴史にゆったりと培われてきたゆたかな田園が広がっている。国道349号を北上するさいには是非眺めてみてください。
立速男命に、俺の尻は綺麗だからどうか引っ叩かないでください、よく屁はこくけどね、と念じつつ財布を忘れ、二礼二拍手一礼一屁をこいてタダ参拝。
  
参考文献…日本の神々 神社と聖地 11 関東/谷川健一編
(この書の「薩都神社」における記述を大幅に参考にさせていただいたこと、また鉱毒に関する推察はほぼすべて本書からの受け売りであることをここに断っておきます。当時記された書物を丁寧に読み込んでいくと、いろんなことがわかってくるのだなあという口にするだに阿呆なことを今さらながら実感し、感銘を受けました)  
  
   
  
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↑実を言うと自分としては珍しく推敲を重ねたのだが、あまりの文章の無駄、レトリックの稚拙さに憮然としつつもこのどっ散らかして収拾のつかないさまが祖父の血を受け継いでいるのかなと思い余計嫌な気持ちになっていや、祖父は文章そのものが書けなかったに違いないと自らに言い聞かせ、ウイスキーで悪乗りし、Perfumeのlove the worldを聴いて泣き、最後にPerfumeのことが書けて大満足、それも刹那のオナニーに過ぎず、俺は何も書かないでやっと0だな、と思いつつ屁をこいて寝る
 

» Tags:神社,

Trackback(0) Comments(2) by 雨|2008-08-12 02:02

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