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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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仏頂山・復

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仏頂山を越え、奈良駄峠から下りてきた。久方ぶりの下界である。ヤッホー!しかし人の姿は無い。とぼとぼと歩き出す。12時をちょっと回ったところ。

細い県道を歩いていくと鏡ヶ池があり、そこで道は分岐になっていて、まっすぐ山沿いに入っていく道がある。後から考えると、ここで一息ついてガイドブックで位置を確認すればよかった。山沿いの道を選べば鍬柄峠を経由し寺までショートカットできるはずだった。地図を車に置いてきたのも痛かった。何となく国道50号に出ればいいだろう…と思っていたので、そのまま県道を歩き右へ(方角的には南へ)逸れていった。振り返ると高峰の姿が美しい。
どうやらこの道沿いには石材工場なんかが多いらしく、また山の採石場ともつながっているので車の通りが結構多い。とはいってもくすんでいていかにも山の中のさびれた道といった感じで、さびしく、見るものも無い。道の脇の沢は見事にゴミが散乱し、濁っている。急速に身体が疲れてきているのがわかる。
   
13時を過ぎた頃、ようやく国道50号が見えてくる。甘く見ていたが、随分長いこと歩いてきたようだ。そしてガイドブックをひらいてみたのだが、そこでやっと遠回りをしているらしいことに気づき、愕然となる。しかも古くてアバウトな小地図なので、自分がいまどこにいるのかも今ひとつ判然としない。鏡ヶ池まで戻るか…と引き返しかけるも、それはあまりに馬鹿馬鹿しいのでこのまま国道に乗ることにした。
地図では国道からもう一本北に伸びて、鍬柄峠のほうに伸びている道路があるのでそれを探す。国道50号はいつも混んでいる。ぼくが一歩進むとき、横にいた車はもう数十メートル先を行っている。ぼくの今日の行程も、車であれば何分の一の時間だろう。
  
北へ行く道に入った頃には冷たい風が強くなってきており、足の痛みも一層強くなってきていた。まったく何と間抜けなことだ、俺はいったい何をしているのだろう…とむなしさに苛まれてくる。
山、に限らず歩いているときには、いろいろなことを考える。しかし考えれば考えるほど心はすさみ、むなしさでいっぱいになってしまう。歩くときには何も考えないよう努めるべきだ、とあるHPに書いてあり、まったくその通りだなァと感心してしまった。考えるかわりに、昔の人はお経を唱えたりしてひたすら山を行ったのだ。自分は宗教心が無いので、歩数を数えながら歩いている。とその人は書いていた。これは見習いたいと思った。歩くときには歩くことに集中。あと自分の外側の世界というものをよく感受するよう集中。
   
目の前に高峰と仏頂山の連なりが見えてくると、心も多少浮き立つ。山の稜線が青空に映え、とても美しい。太陽も随分と長くなってきていて、14時に近くなっていたけどまだ空の上で光を放ってくれている。われわれの唯一の希望、それは太陽だ、と思う。太陽が山に隠れないうちはまだまだ歩けるだろう、と気を持ち直す。
   
集落の中の細い道を選び山の中を行くも行き止まりで、気を落としながら引き返すと、犬と散歩中のご老人に行き会う。今日はじめて出会う人だ。道を訊いてみると、どうやらぼくが行こうとしている鍬柄峠方面の道には行けない、とご老人は主張なさる。こっちの道をこうこう…行くと寺まで行ける、と教えてくれる。地図を見てぼくが考えていた方向とはちょっと違うし、やけに詳細なのがかえって不安を誘う。ご老人は淡いエメラルドグリーンの眼でぼくを見据えており、一瞬ぼくをたぶらかそうとしているのではないかとも思ったのだが、何と言うか人間不信だね。いよいよ道に迷いはじめてきたところだったし、ご老人の出現はまさに渡りに船だった。助言に素直に従うことにして、東に進路をとる。
しばらくまっすぐ進むと、左へ入る道があり工事をしている。数人の作業員がいて、そのうちの一人に声をかけてみる。皆さんこんな寒い中仕事をしているのに、若僧がこんな無駄に歩いていて非常に恐縮である。やはりこの道で間違いないようだ。お見それしましたご老体!助言は的確であった。
まっすぐ道を下りていく。おばあさんが畑仕事をしている。こんなところを若いのが歩いているなんて珍しかろう。慌てて釈明、仏頂山を登って国道のほうからぐるっと回ってきました、と言うと「まあ、若いから…」と呆れたような顔で言われてしまった。
  
さらに下っていくと周りがひらけ、左手に遠く見覚えのあるものが。あれぞ山門!やった、まじで帰ってこられたぞ!(そうじゃなきゃ困るんだけど)と嬉しくなる。そんなこんなで楞巌寺駐車場の車に戻ってきたのが15時30分。5時間もぶっ続けで歩いてきたことになる。車の中でやっと昼食のおにぎりを食べる。
  
後で地図を見て確認したら、やはりどうもぼくが考えていた道だと逆に鍬柄峠を越えて鏡ヶ池わきの道に戻っていってしまうらしかった。ある意味ではぼくの勘は当たっていたということになるが…。しかしこうして地図で俯瞰してみると、不思議な気分だ。歩いていたときには途方も無い距離で、いったい何処へ行くんだろうという寂寞感でいっぱいだったのだけど、そんな大したものではなくだいたい5キロ四方をぐるぐると回っていたのだった。やっぱり地図は大事だと痛感。
  
   
以上、仏頂山顛末記(なんてほどのモンじゃないけど)をだらだらと続けてみました。歩くのはとても良いです。時間の進み具合がゆったりしたものになるし、それにつれて移り変わる風景や気持ち。
 
「ゆっくり変わっていくのは/やわらかな風景と/流れる雲みたいな季節と/単純な人の心と/何も見えない明日と/ねえ ここにいる僕と/旅をしませんか」
 
  

*鏡ヶ池…桜川市(旧岩瀬町)。笠間市との境近くにある。桜川の水源地で、いかなる日照りが続いても水が涸れないという。花園天皇のころ和歌に詠まれた池として有名だ。新緑と紅葉には期待できそう。
 
*今日出会った人…
・ご老人(エメラルド・グリーンの眼。従順そうな柴犬を連れている。「老人の話はちゃんと聞け」というのが教訓)
・工事現場のおじさん(ヘルメットに黒い顔。仕事においても人生においてもベテランといった風格を持っている。変な若僧相手にも親切に道を教えてくださった。ホンット恐縮です)
・おばあさん(畑に落ちたゆずを整理していたようだ。仏頂山には北から降りる道もあるというような話を聞く。「まあ、若いから…」の一言には意外な含蓄があるような気がしてならない)
  
  

» Tags:山行き,

Trackback(0) Comments(4) by 雨|2008-02-13 01:01

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