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[雨は遠いそらの上] 記事数:109

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滝を見に山へ入る

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人嫌い/対人恐怖症(ぎみ)のぼくは、休みになれば人を避けるように田舎や里山へふらりと向かうのですが、それでも人に出会ってしまってどぎまぎしたり、やっぱりひとりはさびしかったりするものだなあ、としみじみ思ったりするブログです。

2008年の元旦、冬の青空の明るさにいつもは重い腰がすっと立ち、滝を探しに山へ向かう。常陸太田市には滝が多いのだが、そのうちのひとつ「長谷渓流の滝」へ。
ゴルフ場の裏道を通り、細い道は林道へと続く。林道は鉄扉で閉ざされていた。手前の広いスペースに車を止め、鉄扉わきのスペースから進入。目当ての渓流を左に見ながら林道をのぼっていく。間もなく大きな堰。堰の直下に滝があるはずなのだけど、道からではよく見えない。もっと上なのかな?と思いさらに上がっていくと、渓流は右手になり美しい流れを見せてくれる。この渓流は岩が特に美しく、すっぱりとまっすぐ斜めに切れた岩がそれこそゴロゴロと転がったり、流れを形成したりしていて、見ていて飽きない。

小さく滝になっている流れをいくつか見つつさらにのぼりつめると、道は渓流からそれて山の中へと入っていく気配。こりゃだめだな、引き返すか…と来た道を振り返るとどこからか人の声が。おかしいな、こんな山の中に人なんているわけないのに…すわっ、これが山に迷いし人間が耳にするという幻聴か?と思いきや、男の子が坂道を駆けてくる。
ほっと胸をなで下ろすのも束の間、こんな山の中を若えのがほっつき歩いてて怪しまれないかとどぎまぎする。首から提げたカメラと片手に抱えた三脚を見て、男の子はぼくを指差し「カメラマンだ!カメラマンだ!」と嬉しそうに叫ぶ。「あけましておめでとーございます!」と元気に挨拶もされてしまった。
他に女の子が4人と父親らしき男性。近くの実家に帰省中で、散歩に来たらしい。滝のことを聞いてみたが、男性もよくは知らないという。子供達はみんな元気で、大声を上げながらさらに山の奥へと入っていった。人の存在に励まされ、しばらくそのあたりを探索してからぼくも彼らを追うように奥へと入っていくことに…
が、渓流は細くなるばかりで、こりゃいよいよ無いんじゃないか、と思ったらさっきの子供達が下りてきた。バイバイ!と手を振りながら元気な声をかけてくれる。本当は写真を撮らせてもらいたかったんだ。あざといようだけれど、こういうところで子供達と出会うなんて何だか素敵じゃないか。でも何か気構えてしまって、ろくに言葉も交わさないまま別れてしまった。
もし帰りに追いついたら、少し話でもしながら撮らせてもらおうかな。平静を装いながらも足早に山を下りたが、子供達の姿は無かった。もう家に帰ったのだろう。父親の吸った煙草のにおいがかすかにしていた。
   
いつの世も、子供には何の罪も無いのだ、と思う。いつもわれわれが、大事なことを忘れ、自分の血を憎み、凝り固まったやさしい心と苛立ちのにじむ眼で彼らを見るのだ。われわれはあらゆる方法で叩き込むだろう、われわれの生とはいかなるものかを。われわれの歴史とは苛立ちと諦めと哀しみの歴史である。憂鬱の歴史である。それはただ繰返される。彼らの眼もやがて曇るだろう。だがぼくは今、それを考えることはできない。
 
車を少し走らせると、向こうの道に子供達が歩いているのを見つける。窓をあけ、手を振ってみる。気づくだろうか。手を振ってくれるだろうか。
彼らはめいっぱい腕を伸ばして応えてくれた。それはぼくが顔を完全に後ろに向けそのまままっすぐ畑に突っ込みかねないくらいになるまで続いた。わかっている、凝り固まっているのはぼくの心だ。早くも傾きかけた西日をたたえた美しい空を眺めながら(その遠いそらは、ぼくにはただただ寂しく見える)、俺はいったい何をしているのだろう、と思った。そして古本屋に立ち寄り「魔法陣グルグル」を買って帰った。
 
後で調べてみたら、滝はやっぱり堰の直下にあるということでした。夏に再訪しよう。

by 雨|2008-01-28 12:12

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