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[バカにつける薬] 記事数:78

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自由への疾走

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自由になりたいと願っていたあの頃。’84年8月6日、猪苗代湖までソロツーリングに出掛けた。

高校1年もあと少しで終わる頃、親に黙って原付の免許を手に入れた。学校をサボって制服のまま近くの教習所で受験した。その頃僕は新聞配達のアルバイトをしていた。どうしてもバイクに乗りたくて。夏休み前から始めた新聞配達、自転車で、雨が降ろうが、風が吹こうが。雪も今より沢山降った。一番ひどかった時はひざ位の深さまで積もった。正月の新聞が分厚いときは一度に自転車に積みきれず、2回に分けて配った。ある程度お金も貯まり、やっと免許をとった。

しばらくは親にばれなかった。新聞配達もバイクで行くようになったが、家にバイクでは帰れず、近くの空き地に止めてそこまで自転車で行ってはバイクに乗り換え新聞配達を続けた。

親はバイクは危険だからと反対していた。

しばらくしてアルバイトのお金でバイクを買った。家に乗って帰れないので友達の家に置かせてもらっていた。すぐに親にばれた。友達の親からうちに連絡が来たようだった。

反対していても仕方が無くなったうちの親はしぶしぶ認めてくれた。

あの頃はバイクに乗れば自由になれると思っていた。自由の本当の意味など分からずに・・・。

高校2年の夏休み、8月6日、猪苗代湖に一人でツーリングに出掛けた。母は心配していたが行かせてくれた。

母の実家は石川県の能登半島にあった。2年に一度ぐらいそこまで車で行っていた。その通り道に猪苗代湖はあったので、道もなんとなく覚えていた。その記憶をたどりながら国道6号線を北上した。途中49号線に乗り換え猪苗代湖を目指した。

国道49号線はわりとすいていた。交通量が少ないので車はみなスピードを出していた。50ccのバイクは平坦な所ではスピードが出たが、上り坂ではびゅんびゅん車に追い抜かれた。

大きなダンプカーに追い抜かれたときだった。すうっとバイクがダンプカーに吸い寄せられた。「!・・・」一瞬ヒヤッとしたが事なきを得た。路肩が広くなっている所で一旦バイクを止めた。

その時初めて自由の意味がおぼろげながら分かったような気がした。自由とは自分で責任をとる事なんだと。ここで事故を起こして死んでしまっても親は知らない。いつも守ってくれていた親の元から離れる、自分の行動に自分で責任をとる、それが自由なんだ、とそんな風に思った。

頭の中を少し整理して走り出した。猪苗代湖は思ったより遠かった。朝8時頃家を出て付いたのは1時過ぎだったと思う。母に握ってもらったおにぎりを食べて、お土産屋を見て回り、帰路に着いた。

家に着いたのは暗くなる頃だった。少し疲れていたが、興奮していた。自由の意味を知り、少し大人になった気分だった。

一人でバイクの写真を撮っていたら「撮ってあげるよ」とおじさんに声をかけられた。少し心細かった僕はそんな優しさに救われる思いだった。

Trackback(0) Comments(4) by マー坊|2009-10-17 23:11

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