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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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手話も介護も

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今朝の新聞に載っていた記事で気になったのは
(安保法案関係はもちろんですが、そのほかでは)
「手話・国民に理解広がれ」でした。

最近、聴覚障害の方と一緒の現場で、観劇支援のお手伝いをさせていただいたり、
話し合いに参加させていただいたりすることが増えています。
7月に関わった芝居では、出演者の半分が手話を使っていましたし、
場合によっては、私以外の全員が手話を使って話している、なんていうときもあります。
まさに、私が「情報障害」という状態で、なんとも居心地の悪いものです。

それで、手話を覚えようと思って、
テレビ番組で「みんなの手話」を見たりしていますが、
もう、新しい言語を覚えるようなものですから
単語などを覚えるのは、セリフを覚えるよりもずっと困難です。
そんなとき、子供のうちからやっておきたかったなあと
してもしかたがないような後悔をします。

今朝の新聞の内容は、単に手話習得のためだけではないと思いました。

聴覚障碍者への理解、交流を深めるために、
子どものころから健聴者にも手話に触れさせるのは
本当に意義のあることだと思います。

観劇支援に携わっていると
実生活で、障がい者との交流がほとんどない、という方が
意外と多いことに気が付きます。
そうすると、初対面の時に、妙な緊張をしてしまったり、
余計な気を使ってしまう・・・・
まるで「腫れ物に触る」かのような対応になってしまうことがよくみられます。

聴覚障害者に限らず
例えば、脳性まひの方との関わり、視覚障害の方との関わりも同じことですが
すぐに言葉が聞き取れないと「わかりあえない」と思ってしまったり
見えていないと思っただけで不安を感じてしまう・・・
こういう健常者との間にある心の垣根は
どうすれば払しょくできるのかと、常日頃から思っているのですが
やはり子供のころから交流するチャンスがあるということが一番かなと思うのです。

私の副業である介護介助についても同じことで
人の生活、命に寄り添うすばらしい仕事であるにもかかわらず、
「大変」「きたない」というイメージが付きまとって人手が常に不足しているのは
待遇云々ももちろんですが、それ以前に「知らない」ことが生み出した勘違いも
かなりあるような気がするのです。

介護、介助も義務教育に入れればいいのに・・・とよく考えます。
課外授業くらいの回数でもいいので
数回でも体験できれば、かなり抵抗がなくなるのではないでしょうか。

私の通っていた小学校では1学年上に脳性まひの男子がいました。
毎日お母さんが送り迎えしているのですが
高学年にもなると、当然のようにクラスメートが移動などの介助をしていました。
当時もちろんエレベーターのない学校で
彼は車いすを使わずに、
両脇を生徒やお母さんに抱えられながら、体をくにゃくにゃさせて
一生懸命歩いていました。
本当に大変だったと思いますが
日常的に、校内でそのような姿を目にしていたことは
私の人生や価値観にとって大きな影響を与えたと思います。

話しを手話に戻します。
7月に関わった芝居を通して、
かつて、手話よりも口話を推奨する流れがあったことを
初めて知りました。
勉強し始めの私からみると、
手話を自由自在に使いこなせれば、
健聴者とろうあ者がもっと自由に会話できるのにと、
もったいなく思えます。

でも
でも
でも!

手話ができれば世界中の人と話ができると思って始めた私は
大きな勘違いでした。
国によって違う手話・・・!
外国語はやはり外国語なんですね!残念!
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Trackback(0) Comments(0) by 鯨エマ|2015-09-23 21:09

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