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[鯨エマの海千山千] 記事数:1742

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長寿馬と長寿羊

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毎日ワクワクするような外交を繰り広げる鳩山さんが、
NYで、拍手喝采をあびた日に
私は2年前から熱望していた「わが町」へ足を運んだ。

東海道線の大磯駅は、今も昔も変わらず1本ホーム。
さすがに改札口は自動になっているけれど、
駅舎の雰囲気はそのままだ。
駅前の煤けた喫茶店、ケーキ屋はそのまま、
パン屋さんと不二家は、その敷地を足して
まったく別のパン屋に変わり、
タクシーの車庫があったところが、
地元野菜の店に変わっていた。

昼過ぎ、いざ紅葉山へ。

まさか、こんなに変わっていないとは思わなかった。
変わりようがない土地ではあるが、
山道はそのまま、防空壕もそのまま、
飛び出している木のねっこも、土嚢の位置も、
そのままだ。

走馬灯のように・・・とは、このことか、
この山道を駆け下りて
早朝の電車に飛び乗っていた小学生時代
痴漢に怯えながら駆け上がったこと、
土から飛び出した石に、足をかけた瞬間、
片チンバの靴を履いてきたことに気がついたこと、
コジュケイと、兎の散歩に、遭遇したこと、
しゃがんでいる子供だと思ったら野ザルだったこと、
などなど、嫌というほど思い出される。

さて、私の住んでいた家は、すでに知らない方がすんでいるが、
うまく改築され、なんだかきれいになっていた。
上から眺めるとこんなかんじ・・・

この界隈を歩く間、見事に人間に会わなかった。
車で通りかかった人と、工事のおじちゃんたち以外は
ひとっこひとり・・・・少しこわいくらいにしんと静まり返っていた。
悲しいかな、すぐ隣の家は、廃家と化し、雑草にうずもれていた。
この家は、うちよりあとに建ったのだが
子供同志はすぐに仲良くなり、家にあがって遊んだこともあった。
人がいた跡というのは、なぜこんなに悲しいのだろう。
わが家は改築こそされたが、それでも引き継ぐ人がいただけ
まだ暖かさを残していた。
思い起こせば、コンクリ打ちっぱなしの底冷えする家だったが、
こうして住んでくださる方に「ありがとう」といいたくなった。

道がないような山道を通って、高田公園にぬける。
みて、この馬と羊を。
私が幼稚園のときからある。
馬のほうが好きだった。
これにまたがって撮った写真が、いま手元に残っている。

なんという長生きの馬と羊!
当時は、これ以外になにもない公園だと思っていたが
その「ない」ことがよい、のどかな空間だったんだ。

山を降り、小学校の前のうどん屋でビールとおでん&釜玉うどん。
それから海にぬけて、
夕方は海岸線を歩く。
「あのころのまま」が、たくさんあった。
ただ、思い出に浸るために、いったわけではないが、
あまり計画を立てずにあるいてみると、
父がここに家を建てたかった理由というのが
少し分かるような気がする。

~本日のありがとう~
同伴者Oさんに、心より感謝。

Trackback(0) Comments(1) by 鯨エマ|2009-09-24 12:12

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