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教科書には載らない大切なこと/チベット史

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ジョン・レノンのハッピー・クリスマスの曲が街角から聞こえる年の暮れ。
この時期になると、“今年、平和のために何か行動できただろうか?”と、以前は焦燥にかられたものだけれど、今は“世界の平和は自分の心の中から始まる”ことを自覚しているから、焦りはない。
“平和“という心境に向けて、日々精進するのみだ。
平和なマインドで毎日を、一瞬一瞬を生きることがどれだけ大切なことか、強く意識するようになったのは、チベットの惨劇を知ってからのことだ。

世界の屋根ヒマラヤ山脈の北部の高原に位置する、「雪の国」チベット。
インド仏教が伝来した7世紀以来、仏教王国として独自の文化が栄えた広大な独立国家で、モンゴル、中国へ多大な精神的影響を及ぼすほどの、アジアの大国として名を馳せていた。
仏教と政治の最高指導者が歴代のダライ・ラマである。
(ただし、現在は政治の指導者は選挙で決められ、ダライ・ラマは最高顧問。)
チベットの惨劇が始まったのは、1949年からのこと。
中華人民共和国が成立するや否や、中国の人民解放軍はチベットの侵略を開始。このとき、人口の5分の1に相当する120万人が殺害され、6,259あった寺院のうち、6,251寺院が無惨に破壊された。
教典は焼き払われる、仏像は跡形もなく壊され、僧侶たちは殺害されるか、牢獄へ連行された。仏陀の教えが説かれた教典の紙は破られて、トイレで使用されたという話もある。
以下の写真は破壊された仏像。

この時、ダライ・ラマ14世は弱冠15歳。
ただちに国家指導者の立場につき、1954年に毛沢東と和平交渉を行うが、中国の武力行使は止むことはなかった。
1959年3月10日。
ラサ市民は、ダライ・ラマ14世の命が狙われていると知って、一斉に蜂起する。
中国軍はこれを武力で弾圧し、8万7千人のチベット人を虐殺。
これ以上の流血を避けるために、ダライ・ラマ14世は亡命を決意。
この日の夜、袈裟を脱ぎ、兵士の姿に変装し、肩にライフルを抱えて宮殿を出発。
数週間かけて高度7000mのヒマラヤを超えてインドへ亡命し、北インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立した。

国家君主を失ったチベットは、この日、世界地図から消滅。
中国に併合され、一部は「チベット自治区」に、他の地域は「青海省」、「四川省」と呼ばれることとなった。

ちなみにこの年、法王を追ってインド、ネパールへ亡命したチベット人数は、8万人に及ぶ。
 *写真/上:インドへ到着した時の若きダライ・ラマ法王。
 *写真/下:亡命した当時の子供たち。

私がこの史実を知ったとき、ダライ・ラマとはいったいどんな人物なのか、尽きせぬ興味がわいた。

国民の5人に1人が虐殺され、ほぼすべての寺院を破壊され、国を奪われた25歳の国王。。。。。
想像してほしい。
もしもあなたが、国王だったら、いったいどうするだろう?
私なら、、、、、悲しみと怒りで、気が狂ってしまう。。。。。

しかし、ダライ・ラマ14世は、自分の感情を完全コントロールする、優れた僧侶なのだ。
法王は、常に朗らかで、すこぶる健康でいらっしゃる。
しかも、驚くほど、おおらかだ。
出会う人を一瞬にして幸せにしてしまうほど、笑顔がチャーミング。
偉ぶったところは一つもなく、気さくで、ユーモアがあって、
まじめな法話の時にも、時折自分から笑いだす。
「中国に対してどう思うか?」
マスコミが投げかける質問に対し、彼は中国を非難することは一切ない。

20世紀最大の惨劇に出会い、その深い悲しみのまっただ中を、笑顔で生き抜くダライ・ラマ14世は、ある時から私の研究対象となった。
国家が破壊されてもなお、平和のために世界を行脚する、ひとりの国王。
赤い袈裟をまとい、素足にビーチサンダルをはいた、ひとりの僧侶。
彼のおおらかな笑い声に、私のハートは釘付けになったのだ。           

(続く)

» Tags:チベット,

Trackback(0) Comments(0) by 北澤杏里|2007-12-16 10:10

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