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[ゆたりろ日記] 記事数:59

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ゆたりろ@Mito City

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小学五年生の時、クリスマスにゲルマニュームラジオの製作キットを買ってもらった。
パーツが10個くらいと片耳のイヤホンしかないものすごくシンプルなラジオ。
今それを見れば「安い補聴器ですか?」というしろもの。
ボクは夢中でそれを組み立て、針金をアンテナ代わりにあちこち向けて聞いてみた。

何も聞こえなかった。
「失敗かぁ・・・」
あきらめ半分、ラジオといっしょに布団にもぐる。
すぐ目の前の壁にコンセントがあった。
ものは試しとさっきの針金アンテナを挿してみる。
ゆっくり同調ダイヤルを回すとかすかな声が聞こえ、次第にちゃんと聞き取れる音になった。
「神の声を聞きなさい。あなたは罪を背負っています。そしてこれから言う住所に手紙を書きなさい。そして私はあなたに返事をあたえましょう・・・神の声を聞きなさい。あなたは罪を・・・」
確かこんな声が繰り替えされていた。
その時のボクは本当に神の声を聞いたと思っていたので、さっそく神さまに手紙を書いた。
その手紙の内容は覚えていない。

しばらくして、学校から戻ると「ちょっと話しがあるからこっちに来なさい」と、親に呼び出された。
ボクあてに聖書が送られてきていたらしい。
あとで謎が解けたことだが、それは茨城放送で深夜ちかくにやっていた土浦の教会の番組だった。

その後ラジオ製作は、トランジスタラジオにバージョンアップした。
当時洋楽がいつも流れているラジオはFENという米軍向けの放送局のみ。
その局でストーンズやディープパープル、ブラックサバス、ツェッペリン、T-REX、JBやベルベッツを発見し、うちのめされ、すっかりロックにのめりこんでいく。
中学生になるとラジオ製作の興味は薄れ、デカイ音でロックを聴くオーディオの興味へと移行した。
ロックと女体の神秘学にあけくれた、ああ、なんとも甘酸っぱい少年時代。
いっぱしのロックフリークに成長したボクは水戸の高校に通うことになる。
自慢じゃないが伝説になるほど、カッコよくて、オシャレで自由な学校だった。
そんな環境だったから、ボクらの仲間は勉強なんてやんない。全くやんない。
毎日ひたすら遊ぶことにだけ魂をそそいでいた。
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(奇跡的に手元に残っていた高校一年当時の学生ノート)
(全ページ意味不明の落書きだらけ 頭の中がいちばんブッ飛んでいたころかも)

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そんな頃、燦然と輝きを放つ最強のロックグループが存在した。

“Captain Heep Rock'n Roll Band”

手を伸ばせば目の前にいた、ボクらの憧れのロックンロールアイドル達。
このバンドの存在で何人のガキがギターを手にし、人生を変えたのだろう。

そして当時のメンバーとその仲間たちが今ここに復活してくれた。
だから病院での面会もそうそうに、重い三脚かついで水戸まで行ったのさ。
会場のBUBBLEっていう店に到着し、ボクはなんだかそわそわぞくぞくしながらHDビデオカメラのセッティングを終える。
中学時代の大親友のシンちゃんも来てくれていた。(すてきな出産祝いありがとう!)

元“Captain Heep Rock'n Roll Band”のギタリストのマサシさんが、リハを終えてくつろいでいた。(マーちゃんなんて恐ろしくて呼べないさ)
恐る恐る声をかけたら、ハグで返してくれたよ。
30年のギャップが一瞬で消えたのをマサシさんの肩から感じ取った。
うれしかった。

Blue Inner Child (甦る獅子たち なんつって。超かっけー!)
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City of Angels (しびれるCutting Guiter&空中浮遊Funk!  このgroove言葉ぢゃぁ説明できない)

演奏はどうだったって?
そりゃ最高に決まってるじゃない。
音が出てからはGrooveの海に溺れ、
後半は涙でカメラのモニターがよく見えなかったよ。

kayo嬢 (Specialなポールダンスを演じてくれた。男に生まれてよかったと自覚したひと時。実際この夜の180人の気憶にいちばん焼きついたのはこの子かも。間違いない)
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ビデオ編集終えたらYouTubeにUPするつもりなので、ライブ収録見たい人は発表までしばらくお待ちくださいね。

» Tags:音楽,

by 野澤真人|2007-12-08 07:07

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